中村天風先生の作品 軸 中心の紹介です。(山本コレクション)

天風先生の作品は、気が溢れていて とても気持ちの良いものと感じております。

過去の作品は、横のタブからご欄下さい。


180.「あやめ」

 1954年夏とあります。花が多くあり、あやめが群生しているところを描かれたのだと推測します。

 「あやめ」を、Webで調べてみました。

「何れ菖蒲か杜若(いずれあやめかかきつばた)」と言われます。意味は、「アヤメとカキツバタは似ていて区別がつきにくいところから》どちらも優れていて優劣がつけにくいこと。」です。

 また、「しょうぶ」と「あやめ」についてですが、じつは漢字で書けばどちらも「菖蒲」になります。

 

「あやめ」の名の由来は、「花びらに網目の模様があったことから、文目(あやめ)と呼ばれるようになったといわれています。


179.「五重塔」

「五重塔」というと、心を磨く「心の奴隷」になってしまった支那の殿様の話p254があります。「心の操縦を完全にする先決問題を、後回しにしちゃって、後回しにしていいことを先回しにしてしまう。潜在意識の重要さを、重要だと考えないで、おろそかにする。」このようになり易いです。潜在意識を重要と考え、心の操縦を完全にすることを先に行うことが大切です。

 

・以下、「心を磨く「心の奴隷」になってしまった支那の殿様の話p254」より

「心の操縦を完全にする先決問題を、後回しにしちゃって、後回しにしていいことを先回しにしてしまうと、それがいわゆる本当の矛盾撞着(どうちゃく)だ。

 

 これは私、支那で聞いた話、非常に面白い話だと思ってる。

 隣同士に、非常に頭のいい殿様と、頭の悪い殿様が、領分を相接して持っていて、頭の良い方の殿様が、五重塔を建てて、頭の悪い方の殿様を呼んでごちそうした。

 バカでもやっぱり、それはまあねえ、負けたくない気持ちはあるとみえて、国に帰ってから早速、家老たちを呼び寄せて、

「この間俺は隣国の大名に五重塔を建てたからって呼ばれて、ごちそうになった。あのくらいのものは、おれの国だって建つに違いないから、おれの国でもあれに負けないだけの五重塔を建てろ。

 そして隣の大名を呼んで、この間の返礼をしたいから」

 早速、家老どもが、それじゃってんで、全国の大工を呼んで、五重塔の建設に取りかかって。

 ようやく土台が敷かれて、建前(たてまえ)になったのでもって、殿様に、

「ぜひおいでを願います。きょうは五重塔の一番の、最初の柱建てをいたしますから」

 すると行ってきて、

「五重塔、どこにあるんだ」

「これからここに建てますので」

「建てますって、おれはな、五重塔の一番てっぺんで、隣の殿様にごちそうになったんだから、取り急いでてっぺん建てろ。あとはどうでもいい。一番先にてっぺん建てて、それで早く隣の人を呼ばなきゃいけないから、てっぺん建てろ」

「いや、お言葉でございますけど、やっぱり下から建てていきませんと」

「いや、てっぺん建てろ」

 って、こう言ったという話がある。

 これは結局要するに、頭としりを間違えちゃった考え方だね。

 潜在意識の重要さを、重要だと考えないで、おろそかにすると、そうしたような間違いを、間違いと思わないで間違っちゃう。

 そうなるってともう、心というものが生きるために使うのに、生きるために使う心から、反対に、あべこべに、使われてしまうことになるんだよ。

 使うものにあべこべに使われたらどうなるかということを考えてごらん。」

 

 

・以下、webより

 

 五重塔(ごじゅうのとう)は、仏塔の形式の一つ。層塔と呼ばれる楼閣形式の仏塔のうち、五重の屋根を持つものを指す。下から地(基礎)、水(塔身)、火(笠)、風(請花)、空(宝珠)からなるもので、それぞれが5つの世界(五大思想)を示し、仏教的な宇宙観を表している。


178.「菊 影揺 菊澗水香 染澤風薫」

 「影(かげ)(れて) 菊澗(たに)水に香(かお)る 澤を染()めて 風(かぜ)(かおる)」と読み下しました。菊の花の黄色と緑の葉のコントラストが絶妙です。

 

 

澗:たに。谷川。 澤:さわ。水が浅くたまっているところ。草木の茂った湿地帯。


177.「言葉の誦句」

 天風先生は、運命を拓く 第4章 言葉と人生p100で、「言葉は暗示力がある。人生は言葉で哲学化され、科学化されている。」とおっしゃています。言葉を最良の武器として使いましょう。

 

・以下、運命を拓く 第4章 言葉と人生p100 より

 真剣に考えよう! 実際人間が日々便利に使っている言葉ほど、実在意識の態度を決定するうえに、直接に強烈な感化力を持つものはない。感化力というよりむしろ暗示力といおう。

 このことを完全に理解し、かつこれを応用し活きる人は、もはや立派に人生哲学の第1原則を会得した人だと言える。

 何故か! それは人生というものは、言葉で哲学化され、科学化されているからである。すなわち言葉は人生を左右する力があるからである。

 この自覚こそ、人生を勝利に導く最良の武器である。われらはこの尊い人生の武器を巧みに運用し応用して、自己の運命や健康を守る戦いに颯爽として、輝かしい希望に満ちた旗を翻しつつ、勇敢に人生の難路を押し進んで行かなければならない。

 そしてこの目的を実現するには、常に言葉に慎重な注意を払い、いかなるときにも、積極的以外の言葉は使わないように心がけることである。そうするとそれが人生哲学の大原則である暗示の法則を応用したことになり、期せずして健康も運命も完全になる。

 

 

 言葉の誦句

私は今後かりそめにも 吾が舌に悪を語らせまい。

否 一々吾が言葉に注意しよう。

同時に今後私は 最早自分の境遇や仕事を、消極的の言語や 悲観的の言語で、批判する様な言葉は使うまい。

終始 楽観と歓喜と、輝く希望と溌剌たる勇気と、平和に満ちた言葉でのみ活きよう。

そして 宇宙霊の有する無限の力をわが生命に受け入れて、その無限の力で自分の人生を建設しよう。

 喝

 

1966年夏日 花押


176.「輪 氣生嘉祥」

「輪() 氣生嘉祥(氣が生まれる嘉(よい)祥(しるし)」

甲申 夏日 甲申(さる)1944年(昭和19年)

 

 和の篆書が、この軸の文字になります。

 天風先生は、哲人哲語「和の義」p34で、「人間の人間らしい活き方とは、心身の統一である。」とおっしゃています。心身統一に心がけましょう。

 

 哲人哲語「和の義」p34より

「人間の人間らしい活き方とは、心身の統一である。即ち心という〇と肉体という〇とが、相結ばって

となった活き方である。

尊いものを求める時は、俗にいう満足を得ようという心持を目あてにしたのでは、必然それは第二義に堕してしまう。

 

それでは何を目あてにするのが本当かといえば、満足を求める代わりに高貴なものを思い且つ行う事をただ楽しむという心持をもつ事である。極限すればそれをたのしむ心持で思い行い、万一その時に大なり小なりの随伴する苦しみがあっても、猶且つそれをたのしみに振りかえるという心持をもつ事である。」


175.「龍」

 今回は、軸です。前回の色紙とは違った勢いがあります。「昭和壬午夏」とありますので、昭和17年(西暦1942年)となります。

 全世界に、「龍」やそれに似たドラゴン(西洋の龍)がいます。

 

 日本の「龍()」をwebで調べました。

 

「様々な文化とともに中国から伝来し、元々日本にあった蛇神信仰と融合した。中世以降の解釈では日本神話に登場する八岐大蛇も竜の一種とされることがある。古墳などに見られる四神の青竜が有名だが、他にも水の神として各地で民間信仰の対象となった。九頭竜伝承は特に有名である。灌漑技術が未熟だった時代には、旱魃が続くと、竜神に食べ物や生け贄を捧げたり、高僧が祈りを捧げるといった雨乞いが行われている。有名なものでは、神泉苑(二条城南)で空海が祈りを捧げて善女竜王(清瀧権現)を呼び、雨を降らせたという逸話がある。」


174.「童」

 天風先生は、研心抄 第二節 合理的自己陶冶法p183で、「孔子も忠信孝悌(こうてい)仁義礼智(れいち)は小童よくこれを識()る。」と童の純真さを説明されています。

 これは、「無邪気に純真に受け取る気持ち」「疑う気持ちや批判を乗り越え、ただ無念無想の状態で、ただ受け入れていく」(運命を拓く 真理瞑想行についてp26より)ことを表していると思います。

 

・以下、研心抄 第二節 合理的自己陶冶法p183

「勿論(もちろん)多くの学者や識者の説くように、古人の名説や聖訓を学ぶとか或(あるい)は既成道徳や修養法を行うとかまたは宗教に帰依信仰するというような手段も、出来るなら大いに行うは結構な事には相違ないが、実のところをいうとこれが中々簡単に実行の出来ない事なので、それも本能心意の中に低劣な慾念や感情情念の存在する分量が比較的尠少(せんしょう)な人なら格別であるが、そうでない人はたとえその教説がどれほど尊貴なものであろうとも、それを如実に応用実行するということは容易な事ではなく、ましていわゆる凡夫不肖のものには到底出来ない相談なのである。

 

 即ちよい訓(おし)えを聴き同時にそれを実行して見ようと思っても、いざとなると中々思うように具体化することが出来ないので、多くの場合困憊(こんぱい)されるのではないだろうか? 現に孔子も忠信孝悌(こうてい)仁義礼智(れいち)は小童よくこれを識()る。さりながら八十の老翁なをよくこれを行わずと言っている位で・・・これは確かに偽りのない事実である。」


173.「誠」

 「誠」の意味や由来をwebで調べました。字の通り「言」が「成る」で、真実となります。天風先生は、「真善美」の中の「「真」が「誠」」と説明されています。

 

天風先生は、叡智のひびき 箴言25「誠の解」で「誠という字は言と成からできている。これを志し、これを述べるを言といい、これを言いこれを行うを成という。述べて行わなければ誠といえない。誠の道はこれによって向上するものである。」と書かれています。宇宙霊に基づき言ったことを実行することが大切です。


172.「夢」

 天風先生は、黒の誦句集の中に「夢」の言葉を使っています。坐右箴言「かりにも消極的な否定的な言動は夢にも口にするまい」、不幸福撃退の誦句「心配や悲観というような消極的な心持ちが、夢にもない」、想像力の誦句「但しどんな事があっても、夢にも自分の生命を腐らし泥ぬる様な価値のない事は想像するまい。」

 

 この場合の「夢」は、潜在意識の中で優先順位が高いものだと考えます。観念要素の更改法をして、潜在意識の大掃除をすることが大切です。


171.「龍」

 天風先生の筆さばきが印象的です。

 龍の文字をwebで調べてみました。「中国の竜は神獣・霊獣であり、中国では皇帝のシンボルとして扱われた。」とありました。

 

・以下、webより

神話・伝説の生きもの。旧字体では「龍」で、「竜」は「龍」の略字であるが、古字でもある。「龍」は今日でも広く用いられ、人名用漢字にも含まれている。中華人民共和国で制定された簡体字では「」の字体が用いられる。

英語の dragon(や他の西洋諸語におけるこれに相当する単語)の訳語として「竜」が用いられるように、巨大な爬虫類を思わせる伝説上の生物を広く指す場合もある。さらに、恐竜をはじめとする爬虫類の種名や分類名に用いられる saurusσαρος、トカゲ)の訳語としても「竜」が用いられている。このように、今日では広範な意味を持つに至っている。

 

中国の竜は神獣・霊獣であり、『史記』における劉邦出生伝説をはじめとして、中国では皇帝のシンボルとして扱われた。水中か地中に棲むとされることが多い。その啼き声によって雷雲や嵐を呼び、また竜巻となって天空に昇り自在に飛翔すると言われ、また口辺に長髯をたくわえ、喉下には一尺四方の逆鱗があり、顎下に宝珠を持っていると言われる。秋になると淵の中に潜み、春には天に昇るとも言う。


101.「誦句集 序」

 序 この誦句集なるものは 吾が天風会が夏期に催す修練会に於て 行修せしむる安定打坐法-天風式坐禅法の公案偈辞として 採用するものなり 蓋し人生指針として 須らく一念服膺すべき必挹のものなり 喝

 

 100回 掲載達成を記念して、誦句集を掲載します。これは、黒の誦句集のようになっており、きれいに綴じられています。(よく読めないところがありました。お分かりの方はお教え願います。)

 

 

【服膺】ふくよう:心にとどめて忘れないこと。


12.大丈夫

①「大丈夫」というと、一休禅師の言葉「大丈夫。心配するな。何とかなる。」という言葉を思いだします。

・トンチで有名な一休禅師が亡くなる直前、「この先、私が亡くなった後本当に困り果てた時にだけ、これを開けなさい。それまでは絶対に開けてはならない」と巻物を弟子たちに遺しました。

何年か後に、寺に大問題が持ち上がり、寺の存亡の一大事に。弟子たちは、知恵の限りを尽くすも解決策がでてこず、どうしようもなくなってしまいました。そのとき、一休禅師が遺してくれた巻物のことを思い出し、紐解いてみると、その巻物に書かれていたのは。

『大丈夫。心配するな。何とかなる』唖然とする弟子達・・・

だが、その言葉通り、寺の問題は何とか無事に解決したそうです。

自分に起きる問題は、必ず乗り越えられるものです。自分が成長するために、問題が起こるのです。問題があっても大丈夫。心配する必要はありません。何とかなるものです。(webより)

 

②また、心配事・不安の96%は実際には起こらない。考えないのが一番。

不安についての興味深い研究があります。米国ミシガン大学の研究チームの心配事の実地調査によって、「心配事の80%は起こらない」ということが明らかになりました。さらに、残り20%のうち、16%は準備をしていれば対応可能なもの。つまり、心配事のうち実際に起こるのはたったの4%だったのです。心配事や不安の96%は実際には起こらない。つまり、ただの「取り越し苦労」にすぎないのです。

 

 専門用語では、将来を予期して不安になることを「予期不安」と言います。予期不安のほとんどは実際には起こらないのです。(webより)


1.和 嘉祥生  昭和40年

「和」の義は、相剋(そうこく)せざる結合、換言すれば不可分の統合、即ち、YOGA(ヨガ)である。(哲人哲語 より)

 今回の作品は、開運なんでも鑑定団 にも出られている㈱思文閣さんから購入したものです。昔、致知に天風先生の軸が掲載(㈱思文閣の広告2004年9月)されていました。

 天風先生は、この「和」の揮毫を多くされています。

 

 哲人哲語 8 和の義 (創立三十周年祝賀に際して) では、以下のように「和」について説明されています。

 和とは、愛憎を超越した親しみ、陸みだという事は、何人と雖(いえど)も知って居る。然(しか)し、それは和の義ではない。和の諦(たい)である。即(すなわ)ち、和なるものを演釈した意語である。

  そも、和の義とは、要約すれば、相剋(そうこく)せざる結合、換言すれば不可分の統合、即ち、YOGAなのである。この消息は、和の字源を尋ねる時、一切は明瞭となる。字源は、和の文字を「輪」より、胚胎(はいたい)したものと教える。それは、和の篆(てん)が、過般予が説道三十周年の記念に頒布せる色紙に揮毫(きごう)した「禴(まつり)」という劃形(さいけい)で作為されて居る事に想到すれば、即座に首肯されると惟(おも)う。